本質
毎日の生活に余裕がないと居場所を見失ってしまいます。
まるで池の水のようで、風や嵐がおこると底の砂や土などが浮き上がってきて、にごって見えなくなります。
風や嵐のおかげで、何かに気づいたり新しく変化できることもあります。
しかし、続きすぎる時は何も見えないし、わからなくて余計に違う方向にむかってしまっているかもしれません。
でもただ、混ざって混乱しているだけです。
水の本質は汚いものではないです。
佳織
アフロアジアティック
毎日の生活に余裕がないと居場所を見失ってしまいます。
まるで池の水のようで、風や嵐がおこると底の砂や土などが浮き上がってきて、にごって見えなくなります。
風や嵐のおかげで、何かに気づいたり新しく変化できることもあります。
しかし、続きすぎる時は何も見えないし、わからなくて余計に違う方向にむかってしまっているかもしれません。
でもただ、混ざって混乱しているだけです。
水の本質は汚いものではないです。
佳織
木, 2月 9 2012 » Kaori » No Comments
自由を得るために、また、すべての命あるものから解放されるために、空、無我を理解しなければなりません。
水, 2月 1 2012 » 未分類 » No Comments
今一瞬一瞬を生きることの積み重ねが一日となり、一生になります。
何もしなくても、河上から河下へ流れる船のように、肉体の時間はただただ流れて過ぎ去っていきます。
止まることはできない。
良いも悪いもなくただ変わり続ける。
このことだけは確かです。
茶道の世界でも、一服の茶を楽しむ方法として、完全に今に目覚めていなければならないと説いています。
今という瞬間を意識している時にのみ、手は茶わんの快い温かさを感じることができ、香りを楽しみ、甘さを味わい、繊細さを感じとることができる。
その延長に無や空があるのだと思います。
過去のことを思いわずらったり、将来を心配していたりすると、茶を楽しむ体験を失してしまうでしょう。
茶わんを見下ろすと、お茶はなくなっている。
一生もこれと同じです。
今が輝きますように…
佳織
水, 1月 25 2012 » Kaori » No Comments
アーサナとは、快適で安定感のある姿勢のことです。
その姿勢とは?
実際にそういう姿勢を色々探ってみると、ここが窮屈だとかあそこが痛いだとかなってしまい、長時間になるとなかなか難しいものです。
完全に身体が健康で、毒や緊張から自由でないと、快適な姿勢というのは容易に得られません。
身体の、そして心の毒が、こわばりや緊張を生みます。
こわばりや緊張は、自分自信を壊してしまうこともできます。
柔軟であるときにのみ、壊れないのです。
鋼鉄のような強さももちろん必要ですが、同時にまた、柔軟さも必要です。
身体は、どの方向にでも思いのままに曲げられるようにしましょう。そういう身体は、いつも健康で緊張がないです。
そういう身体で瞑想すると、座ると同時に身体のことを忘れてしまうのです。
そんな瞑想的な身体にするために、ヨガのたくさんのポーズがあります。
何千年も前のものですが、それの持つ真理はいつの時代にも通用します。
アーサナで、自分自身の調和を☆
佳織
水, 1月 18 2012 » Kaori » 1 Comment
自然は母なり、と言われます。
たくさんのことを教えてくれるからです。
そのおかげで、一瞬ごとに違う体験をし、知識が発達し、精練の度合いが増していきます。
しかし、警戒することも大切です。
あらゆる仕方で欺こうとするし、どんなスキからでも忍び込み、出し抜こうと待ち構えています。
そのため、いつも正視してそれを理解し分析し、それが与える試練を解決しなければなりません。
自分の抱えている問題が何かを知るのが恐いという人は多いです。
とりあえず錠剤を口に放り込んで何もかも忘れようとします。
しかし、翌朝目が覚めたらまた新しく問題を抱えこんでいるだけのことです。
ダチョウです。ダチョウは身の危険を感じると砂の中に頭を突っ込む。
それではなんの解決もなく、成長もありません。
問題を解決し、それを理解した時、自然に縛られることはなくなります。
お金も名誉も地位も美貌もこの世のすべてが実在ではなく、どれ一つとして永遠ではないと知ります。
それを理解した時、自然は幻影となります。
佳織
火, 1月 10 2012 » Kaori » No Comments
整体やアロマテラピー、ヨガに触れていると、人によって治癒のペースが違うことを実感します。
元々備わっている身体の力が影響しているのはもちろんですが、それ以上に大きな次元のものが存在していることに気づかされます。
それは、すでにその状態を体験することです。
癒しを感じたいなら、すでにいやされた状態を目のあたりに見るように、描くことです。
治癒したいなら、治った状態の自分を想像することです。
そうすれば、いやしの力が働き、病はいやされます。
治癒のペースが早い人は、触れる前に、じつは、良くなっています。
佳織
金, 12月 23 2011 » Kaori » No Comments
ヨガをする意味は人それぞれだし、あらゆる目的があり、効果もさまざまです。
個人個人に合うように自分なりに自由にすれば、それがベストだと思います。
一般的には、サマディに到達するため心の作用をなくす修行だと言われています。
しかし、心はいつもコロコロ動くし、常に何かしら思って感じています。水の中で湧き出る泡のように、次から次へと溢れ出ます。
一度出た泡は消せないし止められないので、出たものは出し切るしかないです。無理に止めようとしたり気づかないふりするから、そこに摩擦が生じてストレスとなり、身体に影響を及ぼします。
泡は優しく包み込んで、なんで出てきたのか、どうすればもう出てこないかゆっくり考えてみましょう。今自分に必要だから出ているはずだし、見ないふりをしたり、逃げても、クリアしない限りまた出てくるでしょう。
いつもいつもあるものや引っかかるものを見直してみると面白いです。
気づいて解消したら、次はまた違うものが出てくるかもしれません。だけど、必ずサマディに近づいているのだと思います。
焦らず少しずつで大丈夫。
一歩一歩確実に、楽しむ余裕を持てたらさらにいいですね☆
佳織
火, 11月 29 2011 » Kaori » No Comments
整体をしていると、心と身体のつながりを強く感じます。
不調の原因は人それぞれ様々で、例えば食のアンバランスであったり、運動不足であったり、休息を上手にとれていなかったり…それらが重なりあっていることもあります。
でも何と言っても、それらの根源はリラックスできる時間を持てていないことがほとんどです。
そのせいで、滞りを生み出して不調へとつながってしまいます。
わざわざ特別な時間をつくる必要はないし、場所も必要ないです。
心のおきどころを工夫してみてください。
表面だけのものではなく、心の奥深くまで届くリラックス。
自分自身を愛して大切にすること。
みんなみんな素晴らしいです。
佳織
水, 11月 23 2011 » Kaori » 1 Comment
愛されたいなら愛さなければならない。尊敬されたいなら尊敬しなければならない。
押しつけられた感情ほど逆らいたくなるものはない。
不器用な人は片思いのように感情を一方的にぶつけることしかできない。
たとえば権力を振りかざす人は、尊敬や威厳を保つために人に恐怖を与える。
そんな人に気を使って顔色をうかがう毎日に、まだ自分がこんなとこにいるのかと吐き気がする毎日で
その世界に飲み込まれないようにと最近よく客観的に考えてみる。
この子宮は厄介なもので、どんなに腹の立つ奴でも片を落としているのを見れば暖かいコーヒーでも入れてあげたくなるのだ。
どれだけアイディアが浮かんでも、協力なしでは形にならない(少なくともこの社会では)。
お金儲けしたくても形にならなければ始まらない。
上手な男性は子宮の反応を良く分かっている。
彼もその性質をちゃんと理解できれば成功出来るのに…
男女が協力し合う時は最高のバランス状態だ。
だけど協力にはお互いの尊敬が必要で、強要できるものでは決してない。
この子宮は厄介なもので、差し出したコーヒーを払いのけてしまう人には二度と反応しなくなるのだ。
のぞみ
木, 11月 10 2011 » Nozomi » No Comments
野生動物の生と死の見つめ方を知ることは、人間として生きる上でとても参考になります。
近年、自然が激減してライオン達は狩りが難しくなり、オスも群に加わる場面が増えているようです。
ある時オスライオンが、ちょっと邪魔と蹴飛ばした子どもが死んでしまった。
子どもを殺されたメスは異常とも言える怒りをあらわし、その後、死体を愛おしげに舐めた…。そして、とうとうその身体をかじりだした…。ゆっくりと…悲しげに…愛おしげに…。
法律も制度もない生き物の世界では、生き物はその場に応じて自分で行動します。そこには迷いも間違いもあるが、動かしようのない真面目さがあります。
象の行進には多くの動物が道を譲るが、自分の場所を離れたがらないガゼルがいる時だけは、象の方が横にそれるそうです。
自分自身の巨大な力を知りそれに対して、他者に被害を与えてはいけないという気持ちが外に現れています。
また、ガゼルの方はチーターに狙われながらもギリギリまで逃げず、その場を精一杯楽しみ、食べ、遊ぶ…。その生の時間こそ、彼らにとって大切なのです。
科学的な分析はなく、数値もない。観察者の主観に満ち、ライオンが小さな身体をかじるのを、愛おしげで悲しげと見るのは思い入れだと切り捨てることもできます。
現代文明が、解析可能なものしか存在しないとしてきたために失なったものの大きさを実感します。
大自然というものの役目を見直した時、自分自身が鮮やかに描き出されるのではないでしょうか。
佳織
木, 11月 3 2011 » Kaori » 4 Comments